本協会の名称は、「日本雨女雨男協会」であり、「雨女」が先である。
これは、レディーファーストという意味合いもあるが、ホントのところはもう少し深いので、ここで説明をしておきたい。
実は、歴史上、「雨男」について明確な定義がされたことはない。
それに対して、「雨女」については、江戸時代に刊行された有名な妖怪図鑑にその名を見ることができる。
この図鑑は、「今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)」と呼ばれる書物で、作者は狩野派を学んだ画家「鳥山 石燕(とりやま せきえん)」である。
■写真はこちらのサイトから引用させていただいた■
ここには、「もろこし巫山の神女」という表記がある。(巫山(ふざん)は中国にある山である)
「卑弥呼」が最近の研究では「日の巫女」という存在だったという説が有力で、私もその通りではないかと思うが、恵みを与える「太陽」と「女性」という存在は、古代の日本信仰においては、とても重要であった。
ちなみに、「卑弥呼」という漢字は「邪馬台国」同様、当時の中国において蔑称のアテ字であり、事実を書き残してくれた当時の魏王朝に感謝をしつつも、現代の日本人が使うべき漢字ではない。ましてや「卑弥呼」が天皇家の祖先である「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」であるならなおさらである。
古代の日本においては、天候を司る性別は「女性」であったと思われるが、信仰が仏教へとシフトする中で、暦は天皇が仕切る重要な役割となり陰陽寮が独占、また密教などの発達も手伝って、その地位は男性が占めるようになっていった。
それでも、「今昔百鬼拾遺」に書かれているとおり、江戸に至るまで、脈々と天候を司る女性神としての信仰は残り続けていたものであろう。
したがって、妖怪というカテゴリではあるが、「雨女」は神としての存在であり、自然に対する尊敬や畏怖の念の具象化である。
これに敬意を表し、「日本雨女雨男協会」も「雨女」を先に立てているのである。
ついでに記載しておくと、レディーファーストという文化を持つと思われている欧米こそ、つい100年くらい前までは「夫は妻を鞭で打ってよい」という法律があったほどに男尊女卑社会であったことを知る日本人は少ない。
今、社会問題となっているDV(ドメスティックバイオレンス)の問題も日本よりも欧米のほうが発生件数も多く、深刻なのである。
最後はいささか話が飛び過ぎたが、そのようなわけで、神である「雨女」に勝てるとは思えないが、「雨男」の皆さんにはぜひがんばっていただいて、世界の砂漠を雨で潤すほどの力を発揮してもらいたいと思う。何しろ日本の男子は草食系なのだから、砂漠になったら困るだろう